観ることの質が変わる(1)|Love Letters
2020/06/04
2025/06/07

🌿 序章|まなざしが創る世界
「世界は、わたしのまなざしで創られている」
この言葉は、
特別講義「自己受容」の、
入り口に掲げているものです。
わたし自身も、
幾度となく立ち止まりながら
問い直してきた言葉でもあります。
この一文には、
ただの知識以上の、身体性が宿っています。
それは、頭で理解するというよりも、
体の深いところから、
静かに「わかってくる」ものかもしれません。
多くの人が、
「見る(観る)」という行為を、
どこかで「コントロールの手段」や
「判断の起点」として捉えています。
「どう見るかを変えよう」とするとき、
それは往々にして、
「前向きな見方をしよう」
「ポジティブに受け止めよう」
という方向に誘導されてしまうことがあります。
あるいは、
「ちゃんと見なければ」と
自分を追い込んでしまうこともある。
けれど、「まなざしを変える」とは、
そういうことではありません。
ましてや、
「見ようとする」
努力の先にあるものでもないのです。
“観る質”が変わると、
世界の解像度そのものが変わります。
変わったのは世界ではなく、
わたしという存在の在り方――その質です。
今回は、
「観る質とは何か」を、
身体、神経、霊性という
三つの観点から、ゆっくり紐解いていきます。
それは、
ただの認知のテクニックではなく、
こころとからだの姿勢そのものを問い直すこと。
もちろんこれは、
わたし自身がいまも実践し、
探り続けていることでもあります。
Love Letters を
読んでくださっているあなたと、
この旅のエッセンスを、
分かち合いたいと思いました。
さて、「見る(観る)」という行為を、
私たちはどこかで、
「目で行うもの」だと
思い込んでいないでしょうか?
あるいは、
脳内にビジョンを描き、
それを“見る(観る)”ことだと――
本文へ続きます。
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