脊髄は知っている
2026/08/03

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数十年ぶりに海に入った話を、
水瓶座満月の遠隔の告知に書きました。
水の綺麗な湾の深いところで、
海稽古を二日間、みっちりと堪能しました。
胸いっぱいに息を吸い込み、軽く体を浮かせ、
肺の浮力の上に背骨を積み重ねるようにして、
頭から海の底へ潜っていくスキンダイビング。
やり方を教えてもらい何度か繰り返すうちに、
体が一本にまとまるような感覚になり、
水の抵抗を感じない軽快さで一直線に深く潜る。
からだひとつで、ただ潜る。
気分だけは、ジャック・マイヨール。
目指していた岩に指先が触れ、
なんとも言えない感覚が、広がっていく。
そうやって、思い思いに遊びながら、
湾をゆったりと移動していく大人たち。
うん、これは間違いなく夏休みだ。
次第に、静寂の中で、
潜っては顔を上げるだけの往復になっていった。
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潜るとき、普通なら海の中で、
少しずつ息を吐きながら沈む。
でも、その時のわたしは、
胸いっぱいに吸った息を肺に携えたまま、
海の中では一滴も漏らさずに、溜めて、溜めて、
「もうこれ以上潜れない」というところから
水面に向けて一気に浮上し、顔を出した瞬間、
プハァァァァァァァァァー。
全部の息を、一気に吐き出した。
息だけでなく、声も一緒に出た。
いろいろな思いと感覚が交差する。
ああ、これは、あれだ。
ここ数年、きちんと吐き出せなかった溜め息を
全身で全霊で吐き出してるんだ。 ハァァァって。
子どもの頃はこうやって当たり前に、
海に、この身を委ねていたなぁって。
ああ、わたし、知ってるこれ。
全幅の信頼ってやつだわって。
不思議なもので、海の中で息を吐き出さなくても
ぜーんぜん、苦しくないし吐き出したくならない。
水面で一気に吐き出した後は、
どこまでも、息が入ってくる。
「あれ?呼吸って、こんなに深かったっけ?」
初めての感覚が生じては消え、また生じていく。
──── ✵ ────
海に抱かれて戯れていたあいだ、
多分きっと、わたしは海だった。
存在全体で、ゆったりと息をしていた。
久しぶりの、でも知っているよ、この感覚。
おかえり、ただいま、もう気は済んだかい。
けれど、陸に上がって数日が経つと、
その大きさが、少しずつ縮んでいった。
拡大と収縮。
気づけばひとつの波の尖った先っぽに立って、
足元の小さな揺れに、思考を回し始めている。
いつかのあの時のあの場面。
掴まれなかった手。
飲み込み続けた息。
うまく進まない現実。
意味づけや解釈による物語とわかっていても、
さっきまで海だったはずのわたしが波の先端で、
そのしぶきに乗っ取られかけ、溺れそうになる。
ここまで、際から際へ振れるのは珍しい。
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そんな数日を過ごしたある日のこと。
なぜか無性に、タンゴが聴きたくなった。
バンドネオンという楽器の音を、
気づけば、繰り返し聴いていた。
その形状は、アコーディオンよりも蛇のよう。
蛇腹が伸びて、縮んで、 指で操られながら、
その隙間から溢れる、音やうねりに身を任す。
タンゴを語る文脈に、
「デスアオゴ」という言葉があるのを知った。
これは、息苦しさを吐き出すことを意味する。
自らの内に抑え込んだものを、
涙でも、言葉でもなく、 音として、
身体の動きと音として、外に出す。
ああこれは、あの日、わたしがしていたこと。
プハァァァァァァァァーって吐き出したもの。
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すべてに意味があるのなら、
この肉体を、どう使おうか。
いや、どう、使われようか。
この肉体と、この長い手足は、
十全に使えているだろうか。
タンゴは、二人で踊る、二人称の踊り。
始まりは、目。男性が視線を送る。
女性が、それに気づいて、目を返す。
そこで、小さな頷きが起こる。
それだけで、「踊りましょう」が通じる。
声はいらない。しかし、
そこで目を逸らせば、始まらない。
近づいて、向かい合い、胸を寄せる。
けれど踊り出せば、もう目は合わせない。
見つめ合うのではなく、
触れ合った胸と腕から、相手を感じる。
片方が、次の一歩を、身体で示す。
もう片方が、それを受けて、動く。
でも、これは命令じゃない。
「こう動けるよ」という可能性の、差し出し。
受け取る側は、ただ従うのではない。
自分の速度で、自分の間で、それを返す。
同じ差し出しでも、受ける人によって、
まるで違う踊りになる。それが、醍醐味。
その相手でなければ、踊れない踊りがある。
その相性、その関係性、その一人だけと、踊れる。
相手に、体重を、あずけきらず、
それぞれが、自分の軸で、立っている。
互いに自分の足で、立ったまま、
触れ合う一点だけで、対話する。
自立と、委ね。
発することと、受けること。
それが、絶え間なく、入れ替わる。
相手のからだと、相手の呼吸を通すと、
自分のいまの状態が鏡のように映し出される。
ひとりの人の中に、相反するものがある。
わたしはその全てを体験したい欲がある。
怖いし、まったくお得な生き方じゃない。
でも、統合ってそういうことでしょう。
タンゴもまた、二重性を抱えている。
聖と俗、従順と抵抗、絶望と浄化。
感情をそのまま
垂れ流すのでも、抑圧するでもない。
外側から眺める、第三の道。
突き詰めたら、相反するものは陰と陽、男と女。
それを、自分の中で抱いた先で手と手を取り合う。
ひとりで瞑想して内観するのとは違い、
自立したもの同士が、互いをあずけ合うだけで、
お互いの深いところが、ひらいていく。
海に仰向けになり、全身をあずけたように。
それを、背骨が、脊髄が知っている。
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