わたしの瞳が恋してる
2026/10/14
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霊的な文脈で語られる「ハート」とは、
心臓のことでも、
からだのどこかの場所のことでもない。
だからわたしは、
「ハート」を語れるほどわかっちゃいないと、
素直に、頭(こうべ)を垂れる。
だけどね、
「ハート」と呼べるあの奥で、
こんこんと溢れてくるものがある。
その愛の泉が、正真正銘の本物なら、
それは、間違いなく、目から溢れ出す。
そのことを、わたしのからだは知っている。
尽きることのないもの。
頭で考えては、湧かせられないもの。
──── ✵ ────
ずっと、ずっと昔、
いちばん近くにいた人を、
本気で憎んだことがある。
ひどい言葉を投げ合って、
取っ組み合いの喧嘩をして、
もう顔も見たくないと思った。
けれど、憎しみの奥を覗いてみると、
そこにあったのは、
わたしの気持ちをわかってほしい、だった。
わかってもらえないことが、悲しかった。
この人とは、もう通じ合えないと、絶望した。
それなのに、ある日、あるきっかけで、
わたしはもう一度、その人に恋をした。
同じ人に、二度惚れした。
目から、毛穴から、存在のすべてから
なにかが、コンコンと溢れ出してきた。
あれは、不思議な体験だった。
こんな気持ちになれるんだ、と、自分で驚いた。
──── ✵ ────
わたしたちは、
いま、目の前で起きている出来事を、
過去の体験や記憶に照らし合わせて解釈する。
このような認識の仕方は、
多くの場合、否定的に語られる。
過去に照らして判断するな、いまを見ろ、と。
けれど、過去の体験が、自分を助けることもある。
失うかもしれないと思ったから、
しがみついただけなのかもしれない。
いまでも、それは、わからない。
ただ、ひとつだけ、
はっきりわかったことがある。
あの泉は、そもそもわたしの奥にあった。
そして、湧き出す口を開いたのは、
相手と向かい合った、二人のあいだだった。
相手が変わったわけじゃない。
変わったのは、わたしのほう。
同じ相手に、人は何度でも恋ができる。
それは、自分次第なのだと。
誰かとの関係が冷えかけたとき、
いまも、あの日の体験が、わたしに思い出させる。
泉は、まだ奥で湧いている、と。
──── ✵ ────
「ああ、それは恋をしている状態ですね」
と、簡単に片づける人もいるかもしれない。
けれど、それは一般的な恋愛とは似て非なるもの。
恋愛や結婚には、賞味期限があると言われる。
燃え上がる時期を過ぎ、倦怠期が来て、
求め合う熱は、やがて信頼や尊敬に置き換わると。
ここに書いているのは、そういうことじゃない。
尽きることのない源泉とつながる話です。
相手からもらう熱は、いつか冷める。
自分の奥から湧く泉は、何度でも溢れる。
やっぱりこれは恋なんだ。
とはいえ、男女に限った話ではない。
そういう目をしている自分に出会うと、
なによりも自分がうれしくなる。
では、その泉はどこから湧いてくるのか。
なぜ人は、湧いているはずの泉を見失い、
運命の人を、外に探しはじめるのか。
(2026年10月14日|初出)
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