わたしをほどく、いのちがひらく
2025/06/22

✦ 染み込んだ記憶の、その奥に
たとえば、子どものころ。
親に甘えたくて、そっと手を握った。
その瞬間、ふいに振り払われたとき。
実際には、ただ忙しかっただけかもしれない。
深い意味など、なかったのかもしれない。
けれど、子どもはそれを「拒絶された」と、
まっすぐに受け取ることがあります。
あとからどれだけ事実を説明しても、
それだけでは、癒しには届かない。
その人にとっての真実の記憶とは、
できごとそのものではなく、
それを「どう感じて、どう身体に刻んだか」
その瞬間、どんな反応が起こったのか。
何が、心に沁みこんだのか。どう意味づけたのか。
それらは、言葉になるよりも早く、
感情と身体のなかで完了して、
無意識の奥に残されていく。
それが、すべてです。
誰が悪いわけでもない。
ただ、それは、起こった。
親が握り返してくれると、信じていた。
よろこんで迎えてくれると、思っていた。
その期待があったからこそ、
「拒絶された」という受け取りになる。
さらにそれは、次の物語を呼び、
「わたしは愛されなかった」に展開していく。
しかし、それと同時に、
自分でふれなおし、ほどくことのできる扉が、
そこにひらかれていることも、また事実。
✦ ささやかな違和感と、ズレ
2022年の夏至の日。
そんなことが、わたしにも起こりました。
考え抜いて、決めた。
その決断を、ひらいて、渡したつもりだった。
すぐに、始まると思っていた。
けれど、そうはならなかった。
わたしの心と身体は、
その場でそれを拒絶と受け取っていた。
感情より先に、からだが閉じた。
まるで、天の岩戸が閉ざされた。
ああ、これは、
そう簡単にはひらかない、ひらけない。
ずっと、自分の直感を信じてやってきた。
確信があったからこそ、打ちのめされた。
そんな自分の直感が、
おろかな妄想に思えて恥ずかしくて、
消え入りたくなりました。
あのときにできたのは、
この感受性に寄り添うことだけ。
それは、わたしの表現の源泉であり、
玄花という存在の、根でもあったから。
──── ✵ ────
それからというもの、
目の奥の奥が、笑えていない。
心の奥の奥が、どこか、固まっている。
こんなはずじゃないのに。
わたしは、こんなんじゃないのに。
咲き誇るような笑顔は少なくなり、
天気と友だちで、山の娘だったわたしの、
地球と呼吸していた感覚が、薄らいでいく。
ナニカガチガウ
ナニカガチガウ

コンマ1秒ほどの違和感。
周囲には、ほとんど伝わらない、小さなズレ。
ツアーを開催すれば、ミラクルは起こる。
いつもの笑顔は、人の心を癒したりする。
整体に行けば、みぞおちはふわふわで、
身体は、より研ぎ澄まされていると言われる。
けれど、自分だけは知っている。
違和感のあるわたしが、そこにいることを。
消え入りそうなわたしが、確かにいることを。
現実がきっかけでそうなったのか。
ずっと奥にあったものが、
現実をきっかけに浮上したのか。
おそらく、その、どちらも。
✦ 知っていても、なお、そうなる
わたしは、心や身体のしくみについての知識がある。
心が、自らを守るために反応すること。
神経系の凍りつきが、なぜ起きるのか。
それらが記憶と結びつき、どう作用するのか。
同一化、インナーチャイルド、思考の癖を、
実践的に解いていく手順も、知っている。
けれど、それでもなお、そうなった。
期待したものが与えられなかった。
相手の反応に自分の価値を預けている。
待つことができないから、とかなんとか。
そんな意味づけや解釈はどうでもいい。
だからといって、今ここにある感覚を
理屈で抑えて、ないことにはできない。
わたしの中の“わたし”は、知識の届かない場所で、
ただ「痛い」とつぶやき、「閉じる」ことを選んだ。
──── ✵ ────
知識を超えて、知恵が育つ場所がある。
結局、起きたことを、
自分の手でほどいていくときにしか、
ほんとうの知恵は、育たない。
正しさで差し出されたものが、
わたしの身体には、痛みとして届いた。
“正義”だけではほどけない痛みを、
身体の奥で、知ってしまったから。
わたしを壊さなかったものは、
すべて、わたしの糧になる。
そう、言いたくなる。
でも、まだ言えない。
ささやかな違和感はやがて、
波紋のように大きくなる。
✦ わたしは、わたしを見捨てない
人生って、ほんとうにいろいろある。
思うようにならないし、
コントロールも効かない。
それでも、これだけは言える。
どんなわたしでも、
わたしは、わたしを見捨てない。
だって、あり得ないほど熱量が高くて、
面倒くさくて面白くて、一生懸命なやつ。
もう、可愛くって仕方ないんだもの。
そして、やっぱりわたしは、
わたしの直感を信頼している。
それは、紛れもない事実。
✦ ほどけたあとのこと
きっといつかはほどける。
しかし、ほどけたあとは、
元に戻るわけではありません。
わたしの人生では、
こわれ、ほどけ、ひらくたびに、
前とは違うところに立っていた。
それが、わたしの歩いてきた道。
この知恵は今も、静かに深化し続けている。

そんなわたしは、この夏至に、
生まれて初めて吉野山に呼ばれ、お泊まりし、
金峰山寺の蔵王堂で、朝のお勤めを終えたところ。
役行者と夏至。
特に、意味は、ない。
さあ、おうちに帰ろう。
さあ、わたしに還ろう。
(初出:2025年6月22日)
夏至に寄せて。
書くことで、岩戸をひらきたかった。
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出典・著作|玄花オフィシャルサイト
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