招待
2026/02/04

🌿 想定の外から届く招待状
昨年12月。整体で身体にふれられたとき、
「オライア・マウンテン・ドリーマー」という言葉が、
ふいに、整体師の口からこぼれ落ちました。
久しぶりに聞く名前です。
わたしのからだにふれて、何をどう感じ、
どういう経路でその名が出てきたのか。
そこは、この場面の焦点ではありません。
彼自身も、なぜその名を出したのかはわからないまま
「10数年ぶりに、この名前を思い出しました」と。
思わず「ああ、“招待”ですね」とうなづき、
あの詩を、しみじみと思い出していました。
※ オライアはカナダ在住の作家。
『招待(The Invitation)』の詩を書いた人として知られています。紹介のされ方には誤情報も多いので、
ここでは「その詩を書いた人」という事実だけ置いておきます。
──── ✵ ────
探し求めるものと出会うために。
探し求める場に参加するために。
探し求めるものにふれるために。
多くは、申し込みや志願というカタチであったり、
ときに、アポイントメントという約束から始まります。
けれど人生を振り返ると、
大きな節目ほど「招待」──
直接的に招かれる形で扉が開くことが
しばしばありました。
なにしろ、育ち盛りの子どもが3人いましたので、
何かを探しに行く余裕は、ほとんどありません。
だけど、招かれたものにはうなづいてきた。
いろいろな事情が重なっても、不思議と、
どうにかこうにか行けてしまうものです。
ジャンムー・カシミール地方の、
標高1,600mにある女神の寺院へも、
山の麓から馬に乗って行ったのです。
この旅のきっかけは、
インドの高僧とのご縁から動き出しました。
実際にこの寺院への巡礼は、
「母(女神)に呼ばれて始まる」と語られます。
また、バリ島では総本山の寺院の奥にある、
聖なる森で儀式が行われたこともあります。
その日その場で突然決まって、翌日に。
もちろん日本でも。
小さなものから大きなものまで、
招かれる出来事が多々ありました。
だからどう、はひとまず置いておいて。
人生にこういうことが起こること自体が、
とてつもなく面白いと感じるのです。
──── ✵ ────
「丙午と天命のあわい」に記したように、
現実は、自分が起こすというよりも、
出来事のほうが、わたしに起こってくる。
そんな感覚を持っているのは確かです。
整体でのやり取りがきっかけとなり、
昨年末には、今年のキーワードのひとつとして、
「招待」があることを感じていました。
招かれたならば、行こう。
理屈より先に、からだがうなづく方へ。
そんな軽やかな意思と共に、新年を迎えました。
🌿 どんな質で、そこに立つか
探しに行く人生も、
招かれて動く人生も、
どちらも人生の彩り。
玄花の場では、どちらかを選んで切るのではなく、
両方を抱いたまま、時と場に応じて強調点が動く。
──── ✵ ────
2012年5月の金環日食からスタートした
「玄花の遠足」というリトリートツアーは、
国内で約約60か所の開催を経て、
2017年から世界ツアーが始まりました。
最初の土地に選んだのは、北インドとラダック地方。
ヒマラヤ山脈にほど近い、標高4,000m級の湖
パンゴンツォ(パンゴン湖)の前で朗読したのは、
オライア・マウンテン・ドリーマーの『招待』
それは、その場、その瞬間に選んだことでした。
──── ✵ ────
冒頭2分ほどは風の音が大きく、
言葉よりも、風が先に届きます。
概要欄の詩の全文と合わせて
その場の気配と風ごと受け取りながら、
視聴いただけたら幸いです。
🌿 身体の言葉
この詩が力強く感じられるのは、
“在り方へ招かれる”という招待になっている点です。
つまり「どこへ行くか」より前に、
「どんな質で、そこに立つか」を問う詩です。
オライア本人のPDFには、
「ある集まり(パーティ)から帰宅した夜に書いた」ことが明記されています。
きっと短時間に書き上げたのでしょう。
パンゴンツォの前で読み上げたとき、
場所の神秘性を足すというよりも、
空・風・水・土の前で読むことで、
詩が“からだの言葉”に降りてくるのを感じました。
意味を整えてから出す言葉ではなく、
呼吸や間、声の震えに導かれて、
先に声が出てくる“からだの言葉”のことです。
🌿 やるか、やらないか
この一節が胸に残っています。
あなたがどこに住んでいるか、
どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、
あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、
どんなに疲れ果てていても、
また朝が来れば起き上がり、
子どもたちを食べさせるために
しなければならないことをするかどうかを
知りたいのです。
(“招待”より引用)
「しなければならない」というよりも、
目の前にやることがあれば、やるだけです。
いつでもそこにある選択はシンプルに、
「やるか、やらないか」だけ。
そして、目の前のことをやってきました。
山羊座新月遠隔ワークの告知、
「身体がうなづく方へ」に書いた言葉も、
そんなわたしの体験から出てきた言葉たちです。
やりたいことがあるとかないとか以前に、
いま目の前に、やることがあるでしょう。
やらなきゃ始まらないし、
やってみなければわからないのだもの。
やってダメなら、そこで考えたらいい。
「やるか、やらないか」
決めたらそれをやるだけ。
そして、やると決めた瞬間から、
招待は、現実の一歩としてやってくる。
🌿 招待は、いつもここから
私は、あなたがたとえ失敗しても、
それを受け止めてともに生きることができるかどうか、
それでも湖の縁に立ち、
銀色に輝く満月に向かって「イエス!」と
叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。
(“招待”より引用)
昨年末、ひとつの長い旅を終えて帰国し、
直後の双子座満月の夜に、
遠隔ワーク「テレパシー」をお届けしました。
その満月に向かって、思わず「イエス!」と声が出た。
あれは、気合いというより、からだからの返事でした。
その「イエス!」が、届くべきところへ、
以心伝心で届いていると、信じています。
すると、予定もせず、想定もないまま、
新しい章がひらかれたり、招待が来たりします。
もう、それは、はじまっているはずです。
「やるか、やらないか」が差し出されるなら、
答えはいつだって「イエス!」でしょう。
腹の奥では、もう決まっているのだもの。
招待はいつも、内側の「イエス!」から始まっている。
(初出|2026年2月4日)
節入りと天王星順行の日に。
愛が“本質の意志”に従って運ばれるとき、
そのカタチは、整い始めることにうなづく。
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出典・著作|玄花オフィシャルサイト
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