おのころ|記憶が蓋になるとき
2026/07/18

✦ 「超える」という呪い
超える、という言葉が、よく使われます。
過去を超える。
弱さを超える。
あの出来事を、乗り超える。
前を向いた、力のある言葉です。
けれど、「超える」という言葉には、
ひとつの前提が隠れています。
超える前のものを、下に見ている。
超えるべき過去。
超えるべき記憶。
超えるべき、ダメなわたし。
そして、超えようとするたびに、
超える手前のわたしが、下に置かれます。
消そうとするほど、固着する。
超えようとするほど、
超えられないわたしが、閉じていく。
逆境をバネにし、困難を乗り越えてきた人ほど、
“より良くなるために”
いまの自分をダメとし、滅しようとし始めます。
その声が、身体の中で鳴り続ける。
「このままではダメなんだ」、という声、声、声。
これが、呪いです。
✦ 「超える」の、二つの道
超えることが、悪いのではありません。
わたしたちは、超えていく生きものです。
問題は、どこから超えるか。
土台のほうです。
「いまのわたしじゃダメなんだ」
という土台から超えようとすると、
いなかったはずの「ダメな自分」が生まれます。
超えようとするほど、
「ダメな自分」が強く濃くなる。
──── ✵ ────
子どもに、いまのままではダメだと言って
急かして、発破をかけても、反発するばかり。
愛する親の言葉ほど、深く刺さります。
親子だからといって、
そこに信頼があるわけではありません。
費やした時間。触れた手。
何度も、関わりつづけたこと。
いまのあなたで、もう十分だと、
まるごと受け取るところに、信頼が組み上がる。
その安心の上ではじめて、
子どもは、自ら伸びていく。
わたしたち自身にも、同じことが起きます。
✦ 見たことのないわたしと出会う
見たことのないわたしに、出会いたい。
誰にも見せたことのないわたしに、出会い続けたい。
だからきっと、いま、これを読んでいると思います。
いまの自分を超えたいと思うことは、
とても自然な思いです。
でもそれは、いまのあなたがダメだからではない。
そのことを忘れないで欲しいと、切に願っています。
──── ✵ ────
「あ、また滅しようとしている」
玄花の場では、笑いとともに、
そう言い放てる土壌が出来上がっています。
ずっと前のこと、淡路島リトリートで、
「おのころ島神社」に立ち寄りました。
「おのころ」は、「自凝」と書きます。
自ら凝り固まるのか、と言いながら大爆笑。
誰かの深刻な話も、よくよく聞くと、
「おのころってる〜」と、参加者が気づく。
わたしたちは、過去の記憶により組み上がった
前提、常識、観念で、おのころってる。
肉体ある者は、みな、誰もが。
この肉体の次元だけがすべてではない。
でも、ここでは、等しく働く法則がある。
おのころってる自分にダメを出すのではなく、
凝り固まっている自分に、気づき続けること。
それを、ここでは「気づきっぱ」と呼んでいます。
(初出|2026年7月18日)
消したい記憶を抱きしめて。
蟹座新月遠隔ワークに寄せて。
ここからは、蟹座新月の
遠隔ワーク参加者のエリアです。
この先には、こんなことを書きました。
記憶が、どれほどわたしたちを動かしているか。
思い出すたびに、記憶が更新されていく仕組み。
消したい記憶ほど、消えない理由。
そして、その記憶が、
いつ蓋に変わったのか。
お楽しみください。
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