アバンギャルド
2025/05/29
2025/06/04

スタイルを超えて生きるということ。
🌿 異次元の自由
言わずと知れた、
アメリカ版『VOGUE』の編集長、
アナ・ウィンター。
彼女が今のボブヘアに出会ったのは、
14歳のときでした。
パッツンと揃った前髪に、
顎のラインで切り揃えられたおかっぱ頭。
それから何十年もの間、
今に至るまで、
彼女はそのスタイルを貫いています。
流行を発信する立場にありながら、
彼女自身は「変わらない」という選択をしている。
──それは、単なる美意識ではなく、
もはや、哲学だと思うのです。
同じように、
シャネルのヘッドデザイナーとして世界を牽引し、
その人生に幕を下ろした、カール・ラガーフェルド。
彼のスタイルもまた、明確でした。
カールといえば、
後ろで結んだ髪型に、
サングラス、ハイカラー、レザーグローブ。
さまざまなスタイルを試した末に辿り着いた、
彼だけのオリジナルな“制服”。
🌿 “型”を貫くという、最も自由な選択
おしゃれな人のことを、
最上級に表す言葉が「ファッショニスタ」
たくさんの洋服
たくさんのバッグや靴
たくさんのアクセサリー
それらを、
日々の気分やTPOに合わせて
自分を装う、一般的な美意識。
Instagramには、たくさんの
ファッショニスタが溢れています。
けれど、
アナやカールのように「一つの型」を持ち、
それを徹底して生きる人々がいる。
変化する世界のなかで、
自分を変えずに立ち続ける。
それは、頑なさではなく、自由の表現。
彼らのような存在は、もはや、
「ファッショニスタ」ではありません。
それを超えたあり方を、
「アバンギャルド」と呼びます。

アナは、カールの死に際して、
こんな言葉を送っています。
彼は、完全無欠な芸術家であり、
パラドックスそのものでした。
過去と未来を同時に見つめること。
──これこそがカールのやり方である。
そう、だから、
彼らは「型」を持ってはいるけれど、
実はその型にすら囚われていないんです。
🌿 アバンギャルドとは
常識を疑い、既存の枠を壊し、
まだ誰も見たことのない“今”を生きること。
なぜなら、
アバンギャルドという言葉の背景には、
“超”現実主義の精神が含まれているから。
それは、
現実を超えた夢や無意識の世界を、
表現しようとする芸術的な思考と方法のこと。
つまり、アバンギャルドとは──
玄花的にその本質を言葉にするならば、
いつの時代であれ、
どこの国であれ通用する──
目に見える世界の背後に触れ、
そこから生まれるものを、
体現し、表現する人たちのこと。
ね、ゾクゾクするでしょう?
🌿精神のアバンギャルド
「マスター」と呼ばれる人たちがいます。
マスターとは──
自らの内側にある
“怖れ”や“限界”をくぐり抜け、
克服してきた人たちのこと。
と、わたしは理解しています。
それは、全く
簡単なことではありません。
玄花の視座から見ると、
マスターとは、
まさに、アバンギャルドな存在です。
その時代、その場において、
世の中に出ることのなかった教えを言葉にし、
体系として編み直し、明るみに出したり、
あるいは、
自らの肉体を極限まで追い込みながら、
未知の領域に触れ、そこに尽くし続けたり、
または、
その、深い責任の元に、
教えを、安全に、誠実に手渡してくれたり、
そして、時に、
伝統を深く受け継ぎながら、
その内側で、うんと自由に生きていたり。
「いつも同じ服を着る」
「ヘアスタイルを変えない」
──この“カタチ”だけをなぞっても、
アバンギャルドにはなれません。
それは表層の模倣にすぎず、
本質とは別の場所にあるものだからです。
🌿 日常に立ち現れる、静かな前衛
以前、クラスを受講された方に、
「素敵なお洋服ですね。プラダですか?」
と、お声をかけられたことがあります。
身に着けていたのは、
黒のニット素材で、マーメイドラインのスカート。
「いいえ、ユニクロで。たしか、700円でしたよ」
嘘のようなセール価格を告げると、
相手は思わず「ええーっ」と仰け反り、
そのあとに深くうなずいて、
「ああ、そういうことなんですねぇ」
と、おっしゃったのです。
──なんというか、
何かを伝えようと思っていたわけではなく、
ただの他愛ない会話のなかで、
思いがけず、大切なものが手渡されたような──
そんな瞬間に、
ひとりでしみじみと感動してしまいました。
やっぱり、
物理的に人と関わるって、
大事なのですよね。
🌿 プレゼンスが書き換える、価値の跳躍
ユニクロのスカートがプラダに見えた、
というのも、あり方の力というか、
プレゼンスの魔法というか。
ありがたいことに、
こういう“勘違い”は、たまに起こります。
これは、
ほんのりアバンギャルドの精神性を帯びつつ、
まだ、「アバンギャルド未満」といったところかしら。
もし、これを、
すごくかっこよく言うならば、
「装いとは、金額やブランドではなく、
プレゼンスの質である」
と、言えなくもない。
精進いたします。笑
🌿 時を超えて届くもの
さて、昨晩、
ふとブログの整理をしていたら、
カール・ラガーフェルドについて綴った、
過去の記事が目に留まりました。
そこから静かに、
インスピレーションが湧きあがり──
このブログの流れへと繋がっていきました。
実際のところ、彼は、
年齢が如実に現れる首元や手を隠すために、
ハイカラーのシャツやグローブを身につけていた
とも言われています。
けれど、
たとえそうだったとしても──
彼はその“動機”すら、
スタイルの一部として昇華していたのです。
最後に、彼の言葉を。
私には“問題”がない。
私の人生は、やり遂げたことを忘れ続けることでできています。
私がこの仕事を愛するのは、答えがないからだ。
誰かの人生の中に存在したいとは思わない。
学歴も資格もない。
すべて独学だよ。
孤独やら陳腐な言葉を使うなよ。
世の中で価値があるとされている、
学歴や資格、肩書きや実績──
人間の中にある、
制限や限界や怖れ──
そういったものを超えて生きる在り方を、
先人やマスター、道を生きる人たちは、
その背中で見せてくれています。
そこに、深い感謝と敬意ともに、
わたしもまた、
その“答えのなさ”の中に立ち、
問いを生きていきたいと、あらためて思うのです。
アバンギャルドとは、
決して浮遊する自由ではなく、
確かなスタイルに支えられた自由...
次回、
「スタイル」について綴ってみようかしら。
次回と書いて3年後...かもしれませんけど。笑
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