誰のせいにもしないと決めた|Love Letters
2000/02/05
2025/06/04
わたしは、悪くない。
そう思いたいときほど、
わたしたちは、生きる力を
そっと手放しているのかもしれません。
誰かのせいにしているとき。
何かのせいにしているとき。
それは、
自分を守るための自然な反応でもあります。
でも同時に、人生の舵を、
自分の手から離してしまう瞬間でもある。
誰かや何かのせいにしたくなるのは、
わたしたちが「原因」を見つけて安心したいから。
悲劇に意味を与えたい。
報われる物語にしたい。
そうしないと、
あまりにも理不尽に思えてしまうから。
そして時に、
「過去世」や「運命」といった
“目に見えない何か”に、
その原因を託してしまうこともあります。
また、少し異なるかたちで、
人生を手離そうとする時もあります。
「誰のせいでもない」
「これも意味があることなんだ」
そうやって
すべてを悟ったかのように
あきらめてしまうとき——
そこにもまた、
自分の生きる力が
静かに、抜けていく気配があります。
よく言われます。
「被害者意識はよくない」と。
でも、本当にそうでしょうか?
現実には、
誰が見ても“完璧な被害者”がいます。
たとえば、
飛行機事故で命を落とした人。
道を歩いていて、突然車にはねられた人。
彼らに、非は一つもない。
けれど——
この話の焦点は、そこにはありません。
問題は、
「何が起こったか」ではなく、
「そのあと、わたしがどう生きていくか」です。
ここから先は、
少し勇気のいる話になります。
けれどもし、
自分の人生の舵を取り戻したいと願うなら——
この先の言葉は、
きっとあなたの奥に響くと信頼しています。
さあ、本題に入りましょう。
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