観ることの質が変わる(3)|Love Letters
2000/06/07
2025/07/18

🌿 “わたしを変えなきゃ”と思った瞬間から
自分に向き合う時間は、
魂の旅であるはずなのに──
ある地点から、
“自分を変える一大プロジェクト”に
すり替わってしまうことがあります。
自己探求が、
いつのまにか、自己否定のループに変わってゆく。
もっと高めなければ。
もっと高潔であらねば。
もっとより良くあらねば。
そのループに巻き込まれず、
笑い飛ばせる術が、確かにある。
わたしはよく、
「今よりも透明になる」
「ものごとの深淵に触れる」
という言い回しをしますが、
それは決して、
“今が濁っているから透明になりたい”という、
「否定」からの言葉ではありません。
子どもたちと会話していると、
わたしの言い回しが、
「詩的すぎる、エモい、無駄にスケールデカい」
と、よくいわれます。
君たちが生まれる前からそうなので、
もう諦めたらいいのに。笑
そう表現するのが、
わたしの普通の感覚なのですから。
それは、水の星座に天体が多くあるせい、
ということにしておきます。
・・・・・
先日のDharma Dininigでは、
「還源(げんげん)」をテーマに、
精神の物質主義について深く見つめ直しました。
🌿 “心地よさ”だけに閉じこもらない
あなたがあなたとして
ここに在っていい、と互いに思えること。
それは、成熟した関係性の土台です。
しかしときに、否定を避けて、
“心地よさ”だけを判断基準にしてしまうと、
変容の入り口から遠ざかることがあります。
違和感やざわつきを、
「避けるべきもの」と捉えて、
するべき体験から遠ざかってしまうのです。
つまりは、バランスです。
今回は、神経系の観点からのお話ですが、
神経系の状態が、
すべてを決めるわけではないということ。
たしかに、神経の安定は、
わたしたちの“地ならし”にはなります。
でも、それは
「わたし」という存在の本質そのものを
語っているわけではありません。
🌿 “心地よさ”とは真逆の体験
わたしたちは、
さまざまな経験を経て、
自分自身に還ろうとしています。
実際に、これまでわたしが
「もっとも絶望的な気持ちなった」のは、
血縁を含む、根源的な関係にある人たちとの
関わりにおいてです。
けれど同時に、
愛の本質へと向かう扉を開いてくれたのも、
まさに彼らだったのです。
「好き」「嫌い」という
二元のラベルを超える間柄では、
角度を変えてまなざしを向けると、
それまで見えていなかった真実が現れてきます。
抑えきれない反射と感情は、
わたしに大切なことを教えてくれました。
🌿 人それぞれのタイミングで
けれど、忘れてはならないのは――
神経系を活性させるような
“真逆の体験”が、すべての人にとって
「変容の予兆」になるとは限らないということ。
原初的な脳の回路ーー
たとえば、逃走・闘争・凍りつきといった
生存本能に根ざした反応との再接続によって、
深い変容が促されることがありますが、
それは、
誰にでも・いつでも起こるわけではありません。
🌿 あなたのタイミングで
このシリーズでは、
身体・神経・霊性という異なるレイヤーから、
「観る質」の変化を少しずつ紐解いています。
そこで語られる可能性のすべてが、
あなたにとって必要とは限らないかもしれない。
けれど――
ほんとうに必要なことばだけが、
あなたの深い場所へと、静かに届いていく。
わたしは、それを信頼しています。
本文へどうぞ。
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