自責と他責|前編|Love Letters
2000/07/31
2025/08/17

🌿 受容からグループワークへ
「特別講義|自己受容」
というクラスがあります。
“受容”――
わたしがこの仕事を始める前から、
人生の根底に流れ続けているテーマです。
「どうやって、
その人生を乗り越えてきたのですか?」
そう尋ねられるたびに、
“やり方”というノウハウではなく、
“あり方”というものを答えてきました。
それをひとことで表すなら――
“受容”という言葉に行き着いただけのこと。
だからといって、
この言葉に固執しているわけではありません。
ただ、それが道の輪郭を
そっと示してくれているに過ぎません。
自己受容のクラスを受講された方には、
「The Work」という
グループワークの場を設けています。
ここでは、
「誰かのせい・何かのせいにしないあり方」を、
丁寧に、そして実践的に手渡しています。
🌿 被害者意識という二元の極み
「誰かのせい、何かのせい」
この視点は、
問題を自分の外側に置き、
切り離して捉えることです。
よく“被害者意識”と呼ばれますが、
これはまさに二元の構図に基づいたあり方。
言い換えれば――
二元の極みです。
スピリチュアルという言葉に惹かれる方なら、
“ワンネス”という言葉を
一度は耳にしたことがあるはずです。
被害者意識は、ワンネスとは真逆のあり方であり、
スピリチュアルの本質からも大きく外れています。
🌿 他責と自責は同質である
では、被害者意識という
“他責”をやめれば解放されるのか――。
そう単純な話ではありません。
外側を責めることをやめた人は、
今度は内側に矛先を向けがちです。
「すべて私が悪かったのだ」と。
一見すると、
謙虚さや誠実さに見えるこの“自責”も、
多くの場合、
「自分を罰することで、
これ以上責められないようにする防衛」です。
他責と自責は、方向が違うだけで、
同じ構造の上に成り立っています。
片方をやめても、
もう片方に振り切れるだけでは――
二元の枠組みからは抜け出せません。
このループを越えること。
それが、「誰のせいでもない地点」に立つということ。
そこに初めて、
内なる統合の兆しが訪れます。
そしてそのための実践的な取り組みを、
グループワークの場でお届けしています。
🌿 Love Lettersの世界への誘い
この「Love Letters」では、
一人では気づきにくい人生の細部に光を当てることを
テーマにしています。
それは――
- 自分の足で立っている感覚を呼び覚ますこと
- 真に「人に甘える」ということを、自分に許すプロセス
人は「自立」と「孤立」を混同しがちです。
けれど、真の自立とは、
もたれ合うことなく甘え合えること。
それができるとき、
やさしい世界が始まります。
わたしは、それを信じています。
それでは、本文へどうぞ。
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