ただ、好き、でいい
2025/05/27
2025/09/06

🌿 見えないものを、信じてきた
わたしは、目に見えない力や
目に見えない働きを信頼しています。
それに助けられてきた、
といっても、過言ではない。
運命を信じていますし、
過去世による縁もあるのでしょう。
ただ──それらを、
「ちゃんとわかっている」とは言い難い。
だからこそ、それを自分の正当化や根拠や、
言い訳に使うようなことは、したくないのです。
そこにはいつも、
謙虚でありたいと思っています。
──── ✵ ────
かつて何度も、
「あなたの過去世は……」と語られ、
その物語の魅力に胸を打たれました。
実際、「玄花」という存在の魅せ方として
そうした言葉を引用したこともありました。
いまも素敵なエピソードとして、
心の片隅にそっと置いています。
🌿 娘のまなざしが、幻想に楔を打つ
当時16歳の娘と、
ツインレイやソウルメイト、
前世について、話していたときのこと。
彼女は、すっぱりと言いました。
──── ✵ ────
言ってしまえば、すべては思い込み。
「自分に関わる人はこういう人」
と、思えばそういう人と出会っていく。
それは「赤い車を見る」と思って、
赤い車ばかりが目に入るのと同じ。
──── ✵ ────
出会った人がどういう人間か?
というのを考え過ぎてそれに縋りたい。
何か自分にとって
相手の存在意義を欲している。
ただ、好き。
じゃなくて、 だから好き、みたいな。
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なにか、スペシャルにしたくなる。
なにか、スペシャルな意味をつけたくなる。
──── ✵ ────
出会いの入り口から、
そうなる人が多すぎる。
過去世的になんとかとか、
運命的にどうとか、 心が、とか。
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ただ、純粋に
心がときめく、でいいのに。
理由づけから入るから邪心が生まれる。
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人は自分が思っている以上に“人間寄り”。
人間寄りなのに、
スピ玄人の考えをしている人間、みたいな。
キリストになりきれなかった人間、みたいな。
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行動に対して無理に理解しようとし過ぎ。
ただ、ジャストな気持ちだけでいい。
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あまりの迫力に、
わたしは一字一句をメモしたほど。
——この口ぶり、その熱が、
胸にグッと来たのです。
🌿 ときめきに理由をつけた瞬間に
理由づけはつまり、目の前の人を、
ちゃんと見ていないということ。
──だから関わる。
──だからそうする。
ときめきに、
言葉のラベルを貼った瞬間に、
その輝きは、スッと色褪せてしまう。
🌿 不器用でもいい
娘との会話はいつも、
わたしのあらゆるところに刺さりました。
わたし自身、
どれほど思い込みやすいか、
どれほど理由づけしているか、
どれほど素直に「今」を見ていないか。
どれほど意地を張って、
「わたしは平気です」という顔をしていたか。
でも娘は、こう言います。
「それでも、
それがお母さんのいいところだと思う」
──── ✵ ────
不器用なまでの意志の強さが、
わたしを——
人生の困難から救い、
人生の深層へと導いてくれました。
魂の底から、
本当に向き合うべきものの前へと、
わたしを立たせてくれました。
それは、紛れもない事実です。
けれど、
それだけが、わたしのすべてではないから。
🌿 物語では包めない「今」
わたしが思わず、
「過去世についてはちょっと......」
と、曖昧な言い方をするとき。
それは単純に、
過去世や前世を否定している
というわけではないのです。
相手との、
物語では包みきれない“何か”を
直観しているとき。
この感覚は、
前世というフォーマットに落とし込めるほど
ちいさなものではないと、観じるとき。
さらに、
既存の、関係性を表す言葉に、
当てはまらないほど根源的、と観じるとき。
──── ✵ ────
わたしにとって、
過去世や前世とは、
それが、
ある・ない、信じる・信じない、ではなく、
今のこころのありように、
どれだけ正直でいられるかという問いです。
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自分の弱さを知っているから──
それを物語に当てはめてしまったら、
きっとそれに囚われてしまうでしょう。
すると、今、ここに息づいている
こころやいのちのやり取りを、
おろそかにしてしまう気がします。
そして、
最初の「ハッ」とした“ふるえ”すら、
またたく間に消えてしまうと思うのです。
🌿 飾らずに差し出すということ
物語に囚われると自分を偽ります。
大人ですので、
大人の振る舞いくらいはできます。
やろうと思えば、
自分の気持ちを押し殺して、
「素直そうに」振る舞うこともできます。
でも、そうしようとしても、
カラダがそれについてこない。
──── ✵ ────
わたしはときに、
不貞腐れたり、
不機嫌だったりを隠さないし、
とびきりの笑顔を見せたり、
声をあげて笑ったりもしながら、
「今」そのままのわたしを、
差し出していく道を選——
——びたくないのですけど、
気がつくと、そうしています。
──── ✵ ────
くれぐれも誤解しないでくださいね。
“あるがまま”
という言葉を都合よく解釈して、
素直ではない自分に開き直るようなことでは、
決してありませんから。
🌿 砕かれてもなお、差し出したい
なぜなら、
わたしの目の前に現れる相手は、
わたし自身の鏡なのだと、そう感じているから。
もしそうであるなら——
その人はきっと、
わたしが想像も及ばないほどの、
過酷さや困難をくぐり抜けて、
ここまで歩いてきたのでしょう。
そして、もし——
その縁が本物であるならば、
わたしが塗り固めてきた
エゴも、幻想も、きっと、
そのまなざしの前に粉砕されていく。
──── ✵ ────
それでも構わない。
むしろ、そうであってほしい。
わたしは、その砕かれるプロセスに、
まるごと自分を差し出していく。
その機会を、
ずっと、ずっと、探していたのですから。
だけどそのためには、
直観的な確信や共鳴だけでなく、
現実の中で関係を築いていくことも、
どうしても必要だと思うのです。
🌿 肉体を通してわたしを表現する
思いは通じる
というのは嘘ではありません。
しかしそれだけでは届かない。
なんのために
この肉体を持って生まれたのか。
意識も大事。
現実も大事。
物理的な言葉と時間を重ねずに、
本当にわかり合えるのだろうか。
そんな問いを突きつけられました。
どれほどの深い思いも、
どれほどの純粋な願いも、
肉体を通して、
この世界に差し出していかなければ、
現実が歪んでいくばかり。
とはいえ、現実とは、
わたしたちが何を差し出したかの
「結果」のようなもの。
だからこそ、
現実を無理に変えることではなく、
ただ、“差し出す”ことに立ち返る。
──── ✵ ────
先日、
土星が牡羊座に入ったことを機に、
その能動性がさらに促されています。
わたしのネイタル土星は、牡羊座0度。
その上に、
いま運行中の土星と海王星が重なるなんて、
願っても起こりえない、
“厳しくも優しい”配置です。
だから今、これを書いている──
というわけではありません。
むしろ、
ここ数年は、あえて、
能動性が強いわたしだからこそ、
「受け身でいるべし」
と、思っていたくらいですから。
でも今は、
ただ、書きたい、でいい。
一番最初の「ハッ」とした“ふるえ”は、
今も、心の奥で息づいているのだから。
🌿 見守られている
大いなるものからの言葉は、
あらゆるものを通してやってくる。
愛されていること、
見守られていることを、実感しています。
──── ✵ ────
(初出|2025年5月27日)
土星回帰を迎えた2日後の
双子座新月に、思いを寄せて。
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