Live as I am
2025/06/05
2025/06/24

🌿 その攻撃は、誰に向けられている?
昨年来開催されてきた
ガールズグループオーディション
『No No Girls』には、
こんなポリシーが掲げられていました。
No FAKE(本物であれ)
No LAZE(誰よりも一生懸命であれ)
No HATE(自分に中指を立てるな)
——わたしたちは、気づかないうちに、
いつも自分に中指を立ててはいないだろうか?
🌿 黙って従う「わたしらしさ」の檻
オーディションには、
外見による偏見や、
「女の子はこうであるべき」
「芸能人はこうでなければ」
という、
「声なき世間の枠組み」からこぼれ落ちた
少女たちが集まってきました。
審査員のちゃんみなは言います。
「ただ、あなたの声と、
あなたの人生を見せてください」
彼女自身も、
「声なき世間の枠組み」による痛みを
くぐり抜けてきたひとりです。
その言葉の余韻の中で、
わたしはふと思います。
もし、もう自分に、
何の貢献も果たさない思考の癖から、
たったひとつを手放すとしたら─
「罪悪感」なのではないかな、と。
罪悪感の中には、
自責の念や自己否定など、
さまざまな“自分を罰する思い”が
折り重なっています。
言葉を尽くしても書き表せない、
生(なま)のエネルギーがそこにある。
🌿 癒しを装う、終わらない罰
これまでの人生を振り返ってみて、
自分を責めることで、何かが
解決したことがあっただろうか。
罪悪感によって、
何かが癒されたり、
前に進めたことがあっただろうか。
むしろ、それは
苦しみのスパイラルを深めていったかもしれない。
あなたも、
そして、あなたのまわりの人たちにも。
🌿「まだ足りない」の呪い
わたしたちの深層には、
「自分には何かが欠けているのではないか」
という、
慢性的な欠乏感が横たわっています。
「私には、まだ…」
「これができてからでないと…」
それはどこかで、
「今のわたしでは、それを受け取る価値がない」
と感じているから。
──でも、本当にそうなのかな。
🌿 完璧よりも、差し出す勇気を
わたしの大好きなリンポチェは言います。
わたしたちはあまりにも、
完全に準備しようとしすぎる。
もしお金ができたらこうしよう。
準備が整ったらああしよう、と。でも、“その場でやる”ことは決してしないのだ。
ロマンティックな考えを持っている。
いまはダメだけれど、
そのうちに変わるだろう。
そして素晴らしい人間になるのだ、と。そうして、いつまでも“今”を使おうとしない。
これらの言葉は、
「今の自分を丸ごと差し出す」ことの本質と
響き合っています。
ねぇ、
完璧になりたいわけじゃないし、
お利口になりたいわけじゃないんだよね。
ただ、
しあわせでありたいだけ。
ただ、
出会うべき人と出会いたいだけ。
ただ、
「これをやるために生まれてきた」
ってものをやるために、ここにいるんだよね。
🌿信頼の土台は、自分自身と
実のところ、
今の自分のままでは難しいことや、
まだ至らないことは、たしかにある。
それは現実として受けとめていい。
けれど、だからといって──
“今の自分”にダメ出しを重ねてしまえば、
そこからすべてが崩れていく。
なぜなら、すべては「今」
今に、すべてがあるのだから。
欠けたままのわたしでも、
整いきれていないわたしでも、
今、この瞬間のわたしのすべてを差し出していく。
それができたとき、
わたしとわたしの間に、信頼が生まれる。
そしてその信頼関係の中からこそ、
本当の進化と成長は、静かにはじまっていく。
──なぜなら、
わたしを支えるものは、わたしの中にあるから。
ボディ、マインド、スピリットの働き。
そのすべてが、
わたしという存在の内側に、
あらかじめ備わっています。
だからこそ、
わたしを本当に傷つけることができるのも、
──わたしだけ。
誰かの言葉や態度に傷ついたように感じるとき、
たしかに「きっかけ」はそこにあったかもしれない。
でも──
そのきっかけに、
否定や自責という刃を重ねてしまったのは、自分自身。
🌿 わたしの奥に眠る、ほんとうの力へ
大丈夫。
わたしたちの本質は、
そんなにヤワじゃない。
「どうせ、わたしなんて…」
自責は──
ただの弱さじゃないことも知っている。
自分を責めることで、
誰かに責められることから、
自分を守ろうとすることだってある。
それは、自分なりに考えた
“傷つかないためのかしこさ”だったのかもしれない。
だけど──
そのエネルギーを、
わたしを守るためだけじゃなく、
“わたしを生きる”ために、注いでいこう。
だから、もう自分に
中指を立てるのはやめにしよう。
🌿 花びらのように、世界に身を委ねる
心の奥深くにこびりついた
「わたしにはそれをする価値がない」
という罪悪感と、わたしたちは
どう付き合ってきたのかな。
そしてこれから、
その生のエネルギーを、
滅するでもなく、手放すでもなく、
どう呼吸を合わせ、どう響き合い、どう踊ろうか。
まるで、ひとひらの花びらが、風に舞うように。
そうして、
ひとひらの花びらと花びらが、
本当の意味で出会い、
何かが生まれ、何かが育まれ、
次に手渡されてゆく。
ここから先は、さらに深く、
あなた自身の中に眠る「やさしい力」へと、
丁寧に手を伸ばしていきましょう。
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