2|シャンバラの勇者なのだから
2025/07/11
2025/07/15

|1|の続きです。
勇気とは、恐れをなくすことではありません。
勇気とは、
恐れを恐れている心のはたらきを、観続けること。
そしてさらに──
“見張り番”を無意識に創り出さないために、
その「観ている視座」さえも、静かに観続けてゆく。
勇者とはまず、
外の敵を征服するのではなく、
内なる評価をほどくことから始まります。
🌿 光に向かうことの誤解
わたしたちは、ときに
「光に向かうこと」ばかりを、
正しさや成長と信じてしまいます。
けれど、本当の光とは──
恐れのただなかに、とどまること。
感情の波、身体の疼き、心のざわめきのなかで、
それでも「ここにいる」と言えること。
🌿 優しさだけではふれられぬ場所へ
同じように、
わたしたちは人間関係においても、
「波風を立てないこと」「穏便でいること」を
成熟や愛のカタチだと感じがちです。
しかし、この世界はコントラスト。
ときに、噛み合わなさやすれ違い、
ぶつかり合いを経る関係のなかでこそ、
自分の中に眠っていた感覚が揺さぶられ、
まだ、見たことのない“新しいわたし”に
出会うことがあります。
──── ✵ ────
互いの沈黙を
そっと見つめ合う関係も美しい。
けれど、それと共に、
互いの問いや叫びに応答し、
インスピレーションを与え合う関係もまた、
とても尊いものだと、わたしは感じています。
それは、
優しさを超えたところで交わされる、
いのちといのちの共鳴。
“平和”とは、
何も起こらないことではなく──
何が起きてもなお、
繋がり続けようとする意志のこと。
だからこそ。
「波風が立たない関係」ではなく、
「波風すら起こし、共に乗りこなしてゆく関係」へ。
スピリチュアル・サーファーとして、笑
──軽やかに、しなやかに。
それは、表面的な調和を超えた、
魂どうしの信頼が土台にある関係だと思うのです。
──── ✵ ────
まさに、昨日ふと、
背骨や背中のうねりとは、
人生に起こる波風のようだなと、
思わせてくれるきっかけがありました。
🌿 ふれ直すことで、再生していく
この世界で本当に大切なものは、
たいてい、痛みや傷のすぐ隣に置かれています。
それらに“ふれ直す”勇気を持てるとき、
わたしたちの魂は、
忘れていた記憶を、そっと思い出しはじめます。
そして──
その“ふれ直し”のきっかけをくれるのは、
いつも、わたしを深く映し出す存在です。
それは、喜びだけではなく、
痛みや混乱を伴うかもしれません。
けれどその揺らぎのなかにこそ、
魂が約束してきた“目覚めの装置”が
仕掛けられているのではないかと思うのです。
誰かとの出会いは、偶然ではなく、
「ふたたび感じるために」用意されている。
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