静かな合図は届いている
2025/09/03

🌿 言葉と感じるのさじ加減
最近、わたしの中でちょっとした平成リバイバル。
今朝の作業のBGMは、MINMIの「シャナナ⭐︎」
「愛は言葉じゃないことが僕と君との合言葉」
というフレーズが大好きです。
その歌詞に深くうなづきながら、
真逆の「具体的な愛」についての文章を書いています。
「具体的な愛」とは、先日開催した講座
「思いが届くということ」で扱ってる大切なテーマ。
思いが相手に届くように、
言葉と振る舞いという“合図”を
具体的に整えていくこと。
パートナーとのすれ違いをほどき、
もう一度編み直していくための実践でもあります。
愛は言葉を越える。
でも、だからこそ、伝わるように
“具体的に”手渡すことが必要です。
──── ✵ ────
まず、在り方としての愛──
内側にある抽象的な愛、静けさ・誠実・自由意志を
手ざわりのある愛に育てながら、
ひとこと、ひと呼吸、ひとつの振る舞いに整える。
そうして初めて、愛は現実にふれて温度をもち、
相手に手渡せるものになっていきます。
愛は言葉じゃない。
けれど、言葉を無視していいわけではない。
「考えるより感じろ」は、確かに真実の一面。
けれど、「考えるな」と言っているわけでもない。
この塩梅、このさじ加減が、
その人の持つ魅力として立ち上がると思っています。
🌿 否定と肯定のさじ加減
先月のグループワークでは、
「否定をほどいて肯定を編む」という
オープンチャット形式のワークを行いました。
つい使ってしまう“否定の言葉”を、
いまの自分に必要な“肯定の一文”へ編み直す。
シンプルなようで、とても深い実践です。
もちろん、ただのポジティブシンキングではありません。
──── ✵ ────
否定の言葉は、心に届きにくい。
これはお気持ちや感情論ではなく、
脳の働きや潜在意識の仕組みに関係しています。
どんなに心を込めても、
どんなに愛情があっても、
否定の言い回しでは、ど真ん中に届かない。
これは子どもたちとの関わりの中で、
痛いほど学んできたことでもあります。
──── ✵ ────
言っていることが正しくても、
どんなに深い愛情や思いやりがあっても、
その裏にどれだけ大切な意図があっても、
相手が受け取れる形になっていなければ、
ときにそれは凶器になる。
たとえば、夫が毎晩飲み会で帰りが遅いとき。
「なんであなたはいつもそうなの」
「だからあなたは…。だいたいあなたは...。」と
なじりたくなる瞬間があるかもしれません。
でも、本当に伝えたいのは、
「もっと一緒の時間を過ごしたい」
「わたしを見てほしい」
「わたしのために時間をとってほしい」
という素直な気持ちではないでしょうか。
鍵は、“相手が受け取れる形”で、
その素直な本音を言葉にしていくこと。
主語を「あなた」にして断罪するのではなく、
「わたしはこう感じている」
「わたしはこう望んでいる」と、
主語を「わたし」に戻して伝えることが大切です。
受け取れる形になった言葉は、
「わたしはこう望んでいる」という
静かな合図そのものになっていきます。
🌿 仕事と愛のさじ加減
グループワークでは時々、
オープンチャット形式のワークが行われます。
すべてチャットでやり取りしていくので、
その場で感じたことを、即時に言葉として返していく
必要があります。
わたしが仕事を続けてこられたのは、
話すのと同じ速度でタイピングできること、
PC操作などの実務の基礎体力、車の運転、
そして何より、“元気”のおかげだと思っています。
これは特別なことではなく、
それぞれの仕事を続けていくための土台となる
健全さのひとつだと感じています。
──── ✵ ────
余談のようでいて、大事な話をひとつ。
子ども三人の食事を作り続けてきたことで、
メニューを決め(時には完全オリジナル)
下ごしらえをしながら次の準備に目を配り、
いかに効率よく片づけまで終わらせるかという
全体の段取りを組む力が、確実に育ちました。
そうしなければ、毎日毎日、朝・昼・晩と
食事を「楽しく」作り続けることはできません。
その積み重ねは、
間違いなく仕事にも生きています。
日常の愛が、
そのまま仕事の土台とつながっているのだと、
今になってよくわかります。
🌿 霊的資質と仕事の実務のさじ加減
覚醒している、高次の声が聞こえる──
それだけで仕事が成り立つわけではありません。
その前提を肌感覚でわかっていたから、
最初からズレが少なかったのかもしれません。
なにしろ、シングルマザーとして、
子どもたちと毎日ご飯を食べて、
生きていかなければなりませんでしたから。
霊的な感性や祈りと、
現実の時間・お金・体力・スキル。
どちらか片方だけではなく、
両方を抱きしめながら、
「愛をかたちにする」ことを選び続ける。
わたしがお届けする
The Way to Work という現実デザインセッションも、
まさにこの感覚から生まれています。
在り方としての愛(抽象的な愛)を大切にしながら、
仕事のやり方、在り方、働き方や関わり方といった
具体的な愛の形を、一緒に編み直していくこと。
霊的資質と仕事の実務、そのさじ加減を整えながら、
「この現実を生んでよかった」と思える働き方へと
静かに軌道を合わせていくこと。
霊的資質と仕事の実務、そのさじ加減を整えながら、
内側と外側を行き来する往還運動そのものが、
わたしにとっての仕事なのだとあらためて感じています。
🌿 家族と個人のさじ加減
このオフィシャルブログの基盤を作ったのは長男。
エンジニアとして、正式に依頼しました。
こちらのオフィシャルサイトも、
当時19歳だった彼にプロとしてお願いしたもの。
わたしは、欲しいページと大量の写真、
そしていくつかの文章を渡しただけで、
設計から実装、デザインまで、
まるごと担ってくれました。
親子という関係でありながら、
一人のエンジニアとして敬意を払い、
仕事として依頼する。
「家族だから甘える」のでもなく、
「仕事だから突き放す」のでもなく。
AI が広く使われるようになってからは、
彼自身の仕事のカタチも変わりつつあります。
「どこをAIに任せて、どこを自分の感性でやるのか」。
その視点で話を聞く時間は、
同じ時代を生きる“ひとりの職人”に触れるようで、
とてもおもしろい対話です。
🌿 家族とチームのさじ加減
昔、子どもたちに
「我が家はチームだね」と言ったら、
「そんなのやだ。普通の家がいい」と
即答されたけれど......
娘が海外で社会人として暮らすようになって、ふと、
「お母さん、“家族はチーム”って言ってたよね。
あれ、なんかわかる。心の支えになってる」
と言ってきたのです。
なんか嬉しかったな。
実際、娘にも感性と実務の両面で
どれだけ助けてもらったことか。
そして、存在そのもので
チーム全体に貢献している末子。
というか、いちばんのリーダーかも。
こういうのも“引き寄せ”と言うのでしょう。
──── ✵ ────
家族それぞれが、ひとりとして立ちながら、
同時に「チーム」として支え合っている。
ひとりでできることと、
チームだからこそできること。
それを試行錯誤してきた時間が、
いまのわたしの仕事の感覚である、
「ひとりで抱え込まずに、必要な助けを受け取りながら
愛をかたちにしていく」という土台になっています。
🌿 前世と今世のさじ加減
わたしには、過去世にまつわる
大好きで大切な物語があります。
この仕事を始める前に勧められて
初めて過去世リーディングを受けた時のこと。
──最後にこう言われたんです。
「玄花さんの家族はとても珍しく、
今回、ここで初めて一緒になっています。
そして、これが最初で最後です」
なんとも言えないものが、
胸いっぱいに広がりました。
時は満ちた。
合図は受け取った。
準備はできている。
言葉の真偽はさておき。
そう告げられたことは事実——
それをどう受け取るかは、わたしの選択。
もう、子どもたちのお腹を
満たす役目は終わっている。
その続きは、然るべき場所で。
わたしなりの「今ここでの選択」を通して
どんな愛をかたちにして還元していくのか。
🌿 ブログとSNSのさじ加減
「玄花、爛漫」は、
わたしにとって SNS のような場所。
少しひらかれた広場のような感覚で、
ちょっとした制作の合間に、裏側のことや、
お喋りのようなものを、ぽつりと綴る予定です。
このオフィシャルブログは、
もう少し静かに腰を据えて言葉を置く場所。
一般的なプラットフォームに投稿する言葉と、
自分の場に残しておく言葉の、そのさじ加減を
これからも探っていきたいと思っています。
参考記事
「天香、爛漫のはじまり」
それでは、また。
──
(初出|2025年9月3日)
「具体=愛」の執筆の合間に。
「これで最後です」という言葉を
しみじみと噛みしめながら。
(加筆修正:2025年11月11日)
The Way to Work に寄り添うかたちで、
仕事と愛のさじ加減を書き足しました。
メールマガジンに登録する
ご登録いただいた方には、 ブログ記事の更新とお知らせをお届けします。いつでも登録解除いただけます。



